経験とは何か

ちょうど「真理」という名の料理をつくる材料のようなものである。材料が良くても、いくら豊富でも、それがすぐ料理の善し悪しになりはしない、問題は料理人の技術なのだ。才能のない料理人にかかったら、折角の材料も台なしだ。人は、何かというと経験を評価のスケールにしたがる。ともすれば価値そのものと扱ったりする。これは錯覚である。ただ単に、ある人がある経験を持ったというだけでは、それが価値あることにはなりはしない。経験が尊重されるためには、その人がその経験から、いつ、誰が、どこで考えても納得のできる正しい理論に裏づけられた知識を、学びとっていなければならない。経験そのものは、あくまでそのための材料でしかなく、それをどう料理して、どんな知識にまとめあげたかが大事なのだ。何かを理解するにも、判断するにも、その前提となる知識の質と、量によって、その答は違ってくるはずだ。もし知識の質が、カンを頼った理論のないものだったり、ただ断片的な知識の部品の雑然とした集まりだったら、そこから正確な判断は期待できっこない。間違った解釈をするような知識なんか、かえってない方がよい。知識がなけりや、むしろあるがままに素直に受けとるに違いない。人間の経験なんてものは、とかくこんなものじゃないだろうか。頼りになるものばかりじゃない。人前で得意になって振り廻すことのできる経験など、どれほどあるか疑問だ。なまじっか、つまらぬ経験を持っていたために、それにこだわって判断を誤る例は、反省すると意外に多い。若い人は、この点で実に羨ましい。過去を持たないから、いつも前向きの姿勢でいる。将来へ一歩一歩進みながら、現実を直感的に受けとめ、こだわりのない新鮮な心でありのままに吸収する。そして正しく時代を反映する。←こちらからいろいろな知識を手に入れましょう。


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